国家賠償と損失補償とは異なる制度として発展してきたが、両者はともに行政作用により国民に被らせた特別の損失を填補するものである点で共通している。

 

この点から両者を統一しようとする傾向が有力となってきている。すなわち、現代において、一般に企業は国民を危険にさらしながら企業利益をあげている。このため、このような危険性を伴う企業から生ずる損害は、過失の有無にかかわらず賠償することが社会正義に合致するという主張がなされ、この考えが、過失責任主義を無過失責任主義へと発展せしめた。その私法上の無過失責任主義の考えが国家の場合に拡大され、国家の無過失責任主義が主張されている。違法か適法かという観点からも、損害賠償と損失補償との区別は明確ではなく、両者の区別は相対的となり、損害賠償は損失補償に接近しつつあるといえよう。

 

特に、公務員の違法無過失の行為による損害や危険責任については、法律上の規定がないことを理由に救済してもらえないという事態が生ずる。このような場合に、どのような法理論に基づいて損害や損失を補償していくべきかという問題が提起されてきた。

 

個別法に提起されているものとして、①適法行為に基づいて不法な結果を生ぜしめた場合の補償(例→被疑者としての抑留または拘禁を受けた者に対する刑事補償)、②違法行為に基づいて不法な結果を生ぜしめた場合の補償(例→未決の抑留などを受けた者が無罪の判決を受けたときの補償〈刑事補償法〉)、③公務員に対する災害補償、などがある。これらの個別法のない場合に、結果の不法に基づく補償という「結果責任」なる第三の補償形態を確立しようとする考えが台頭してきた。これを一般に「国家補償の谷間」といっている。